感情リサイクル
この数週間の躁鬱状態が、見事に晴れました。
お互いに、感性を信頼している相手。
「沖縄には、今は行かない」ということも、「会って話さないと意味が違う」ということも、通じた。
まだ若くて、とがっていたいらしい「ぐれた少年」は、
危ない橋も渡りたいそうで、
「ひとり」の全てを請け負えないとようやく言葉にして気づいて、
そうだね、と、私は納得した。
ぜひ、そう在ってください。
そして、よりかかってしまってごめんなさい。
もとは、頭をいっぱい使えて(また使い甲斐のある)関係で、そういうのが楽しくて始まった。
久しぶりに、これだった、と思った。
大丈夫。やればできる。
でも「今ならできる」ことには、甘えなかった。
しばらくはお互いの時間。
私は、言葉だけでなく、一人で立てる証明を(私自身にも、彼にも)するために。
少年は、いろんなことをやって、考えて、成長するために。
子宮の心地よい感情に任せた日々を、でも私たちは後悔していないと言い合った。
すごく納得できたし、満足した。
あとは証明するだけ。
できなければ、私がそれまでの人間だったということで、自分が納得いかなければ、絶対に相手にも伝わるということも、わかっている。今までの経験上。
逆もまた然り。
でも、やってみせる。そして、やってくれる。
そんなわけで私は元気です。